プラスチックごみ問題を概観する

プラスチックごみをとりまく世界の状況

プラスチックごみの問題は,先進国が長い間目を背け続けてきた問題の一つである.プラスチックがいったん海洋に放出されてしまえば,プラスチックは長い時間をかけて劣化していき,還流に乗って全世界を旅する.このような状況下で,「2050 年には,海に存在している魚の重量をプラスチックの重量が追い抜いてしまうだろう」というセンセーショナルな推計も上がっている.この推計が世界を震撼させたのか,2016 年に開催されたダボス会議では,国際社会が一致して海洋プラスチックごみの問題に取り組むことが約束された.日本で排出されたプラスチックごみは,以前は中国や東南アジアに資源として輸出されていた.資源として輸出されたプラスチックごみは,適切に輸出相手国で処理されているということになっていたが,実際はかなり不明瞭な部分もある.

ところが 2017 年,世界最大のプラスチックごみ輸入国であった中国が,プラスチックごみの受け入れを年内で停止すると発表した.拡大しつつある国内のプラスチックごみ問題にすら対処できないのに,海外のプラスチックごみを受け入れている場合ではない,という立場である.この決定を受け,東南アジア諸国も次々にプラスチックごみの受け入れを停止すると表明している.それに追い打ちをかけたのが,2019 年の COP におけるバーゼル条約の改正である.この条約改正によって,我々は日本国内で責任を持ってプラスチックごみを処理する義務が生まれたのだ *1.海洋に存在しているマイクロプラスチックは我々の体内に入り込んでおり,日本人を含む世界中の多くの人の便の中からもマイクロプラスチックが発見されている.マイクロプラスチックそのものは無害だが,添加剤や,プラスチックが海洋を浮遊する際に吸着した物質が人体に害を与える可能性は否定できない.

次節でも述べるが,プラスチックごみの問題は,海洋プラスチックの問題にとどまらず,地球温暖化というもう一つの問題を抱えていることにも留意すべきである.

プラスチックごみ問題の構造

地球温暖化と海洋プラスチック

プラスチックごみと一口にいっても,プラスチックごみにまつわる問題は大きく分けて 2 つ存在している.

  • 生産や焼却の過程で CO₂ を排出し,地球温暖化に悪影響を与える.
  • 海洋に流れ込み,細かくなって海洋に残り続ける.(いわゆる「海洋プラスチック」)

この 2 つの問題は一見似通って見えるが,実際は取るべき対策や考え方が大きく異なっている.

CO₂ の排出

CO₂ の排出を減らす方法

プラスチックのうち多くの種類は,石油からできており,プラスチックの生産の際,さらには焼却処分の際にはCO2 が排出される.ここで CO2 の排出量を減らすためには,以下の方法が考えられる.

(a) プラスチックの消費量を減らす: プラスチックの排出量そのものを減らすことは,CO₂ の排出量を減らすことにダイレクトに繋がる.生産・焼却時に排出される CO₂ の量が大幅に減ることが期待できる.

(b) プラスチックをリサイクルする: リサイクルによってプラスチックが循環する社会を作ることは理想の一つであるといえるだろう.

それぞれの方法の問題点

(a) プラスチックの消費量を減らす

プラスチックの排出量を減らすことは容易ではない.なぜなら,プラスチックはその特性上多くの利点を抱えているからだ.プラスチックの存在が戦後の豊かさを支えていることは否定の余地がないだろう.プラスチックの利点は,軽量で,耐久性があり,簡単に整形することができ,生産が安価で,さらに添加剤を加えることで望む特性を加えることができることなどがある.この利点から,我々の生活のいろいろな場面でプラスチックが使われている.

(b) プラスチックをリサイクルする

プラスチックをリサイクルすると言うが,その過程はたいへん面倒である.汚れが酷いものは洗浄し,さらにプラスチックの種類ごとに分類し,そこまでしてようやくリサイクルができる.たとえば,スターバックスのクリームたっぷりの商品が入っているプラスチックのカップは汚れが酷いため,リサイクルに適しているとは言い難いだろう.実際,スターバックスカップのリサイクルは進んでいない.

これに加えて,プラスチックは,容器包装プラスチック,製品プラスチックに大別される.容器包装リサイクル法において,容器包装プラスチックのごみは,自治体や事業者が責任をもって回収することを義務付けられている.一方で,製品プラスチックのごみは,回収の方法が定めらておらず,まだ使えるのに回収されてしまうことがあるという.

マイクロプラスチックの発生

マイクロプラスチックの種類

1 次マイクロプロスチック

もともとから小さい形のマイクロプラスチックをさす.特にマイクロビーズは 1 次マイクロプラスチックの代表的 なものであった.マイクロビーズとは,洗顔料や洗剤に含まれており,泡立ちをよくするために使われている細かい プラスチックのことである.ここ 5 年程度で,日本の大手企業もマイクロビーズ全廃の動きを強めている.たとえば 花王は 2016 年末までにすべてマイクロビーズの使用をとりやめている.

2 次マイクロプラスチック

もともとは大きかったプラスチックが摩耗や劣化によって細かくなり流出したものが 2 次マイクロプラスチックで ある.人工芝や,車のタイヤのすり減った跡,あるいは合成繊維を洗濯した時に出る糸くずなどが挙げられる.

マイクロプラスチックの海洋排出量

陸上から海洋に排出されるマイクロプラスチックの総量を正確に比定することは非常に難しい.海洋に流出するプ ラスチックは,私たちの目の届かないところで流れ出てしまうものが多いからだ.正しく回収され,焼却や埋め立て 等の方法で正しく処理される場合,海洋に流出してしまうマイクロプラスチックは原理的には存在し得ない.

  • 車のタイヤの摩耗
  • ポイ捨て
  • カラスがゴミ袋を破って漏れ出した

など,目の届かないところでの流出がほとんどを占めているにもかかわらず,これらのマイクロプラスチックの流出 を推定するのはほぼ不可能に近い.

一方で,プラスチックの海洋排出量や,海洋に存在するプラスチックの総量はいろいろな論文において推定されて いる.ここではそれらの論文のうち代表的なものとして "Plastic waste inputs from land into the ocean" *2 という論文をとりあげてみたい.この論文中では,従来の手法では 正しくプラスチック排出量を推定できているとは言いづらい,と指摘している一方で,採用されている手法は結果的 に主観的な推測に基づいている.このように,プラスチック排出量を正しく推定することは非常に難しいことを我々 は心に留めておくべきである.

代替プラスチック

代替プラスチックとして代表的なものとして,バイオマスプラスチックと生分解性プラスチックが挙げられるが, この 2 つのプラスチックはまったく異なる定義を持つことを理解しておかなければならない.

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バイオプラスチックの種類.「プラスチックを取り巻く国内外の状況<参考資料集>」*3 より引用.

バイオマスプラスチック

バイオマスプラスチックとは,石油以外の原料から作られるプラスチックを指す.原料のうち代表的なものはトウ モロコシである.有機原料から作られているため,地球温暖化の対策として有効である可能性が指摘されている.

一方で,トウモロコシを原料とした場合,現在食品・燃料・飼料などさまざまな用途に用いられているトウモロコ シと用途がかぶってしまうという問題も存在している *4

生分解性プラスチック

微生物の働きで,最終的に水と二酸化炭素に変化するプラスチックを,生分解性プラスチックと呼ぶ.主にはコン ポスト(堆肥を作る施設)など,微生物の働きが促進される環境でその力は十全に発揮される.

一方で海洋中で生分解性プラスチックの分解能は力を発揮しづらい.特に,低温高圧の深海では,微生物の働きが 鈍ってしまうため,生分解性プラスチックが自然に分解されるとは考えづらい *5

日本国内の法規制等の動き

レジ袋有料化

レジ袋が 2020 年に有料化されたことは記憶に新しい.レジ袋の有料化を受けて,スーパーにおけるレジ袋辞退率 は 57 %から 80 %へ,コンビニでも 23 %から 75 %に上昇した *6. 実は,レジ袋を規制し,場合によっては禁止する動きは海外では珍しいことではない *7.一方で,日本ではレジ袋 を何度も繰り返し使う人が多く見られ,レジ袋を使用するよりもエコバッグを使用するほうが環境負荷が大きいとの 試算もある *8.このような実態のもと,レジ袋の問題を契機に,我々が与えている環境負荷を考える習慣をつけるよ うにしたい.皮肉なことだが,1 つの目標を猪突猛進に追いかけるのではなく,客観的に環境負荷を評価する必要性 をも伝えてくれているかのようだ.

プラスチック新法

2021 年にプラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律,いわゆる「プラスチック新法」が成立し,2022 年 からの施行が決定した *9.この新法では,製造事業者がリサイクルしやすい設計を行う指針を策定し,その適合を認 定したり,使い捨てのストローやスプーン,ホテルのアメニティなどの使い捨てプラスチック製品を多く提供する事 業者に対して,策定した判断基準に基づく削減を求めるという *10.この法律が我々のプラスチックに対する意識を変 えることに繋がることが期待されるが,レジ袋有料化と同様,あくまではじめの一歩にすぎないのだということは強 く意識すべきである.

消費者や企業ができること

消費者は,メーカーが製造する製品を買うことしかできない以上,ある意味では無力である.しかし,消費者が過 剰包装を問題視する声を上げるなどして,多くの企業が,製品からプラスチックを削減する努力を行っている.興味 深い事例をいくつか紹介する.

(1) 容器デザイン変更

「ブルボン」では,従来のパッケージデザインと比べ,同じ量を安定して入れることができるが,使用され るプラスチックの量が減るようにパッケージデザインを変更した *11

(2) プラスチックから紙への転換

ネスレは,「キットカット」の外袋を,プラスチックから紙に変更した *12.この結果,衛生上の問題なく,プラス チックを削減することができる.

(3) 紙かみそり

柄が紙でできており,水に濡らしても問題ない使い捨てかみそりが開発された *13.ホテルのアメニティなどでの 利用が期待される.

プラスチックと付き合っていく

先にも述べた通り,プラスチックは他の追随を許さない多くの優れた利点を持っており,現代社会がプラスチック をまったく使わない生活に移行することは不可能である.一方でプラスチックが地球温暖化,海洋汚染という 2 つの 環境問題に大きな影響を与えうることを正しく理解することが重要である.プラスチックが必要な場合はプラスチッ クを使い,代替品がある場合は代替品を用いることや,できるだけプラスチックの包装を使いすぎないことなど,プ ラスチックを無駄に使わないよう,柔軟に対応していくことが我々いち消費者に対しても求められている.

付記

筆者は高校生で,以上の文章は,夏休みの自由課題として提出したものです. なにぶん専門家でもなく,また下調べ,文献の参照等も十分ではないですので, ご不満の点等おありかとは思います. ぜひコメントでご指摘いただければと思います.

お読みいただきありがとうございました.

*1:「2021 年注目のバーゼル条約 脱プラスチックへ向けた改正内容を解説 | ELEMINIST(エレミニスト)」,株式会社トラストリッジ,https://eleminist.com/article/688,2021 年 8 月 28 日閲覧

*2:”Plastic waste inputs from land into the ocean”,Jenna R. Jambeck, Roland Geyer, Chris Wilcox, Theodore R. Siegler, Miriam Perryman, Anthony Andrady, Ramani Narayan, Kara Lavender Law,Science, pp.768- 771, 2015

*3:「プラスチックを取り巻く国内外の状況<参考資料集>」,中央環境審議会循環型社会部会プラスチック資源循 環戦略小委員会,https://www.env.go.jp/council/03recycle/y0312-05/y031205-s1r1.pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*4:「プラスチックを取り巻く国内外の状況<参考資料集>」,中央環境審議会循環型社会部会プラスチック資源循 環戦略小委員会,https://www.env.go.jp/council/03recycle/y0312-05/y031205-s1r1.pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*5:「プラスチックによる海洋汚染 -生分解性プラスチックの利用-」,日本家政学会,兼廣春之・関口峻允, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej/61/6/61_381/_pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*6:「令和2年 11 月レジ袋使用状況に関する WEB 調査」,環境省http://plastics-smart.env.go.jp/ rejibukuro-challenge/pdf/20201207-report.pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*7:「3.諸外国におけるレジ袋等容器包装の使用実態調査」,経済産業省https://www.meti.go.jp/policy/ recycle/main/data/research/h20fy/200811-2_mri/200811-2_3.pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*8:「環境配慮行動支援のためのレジ袋とマイバックの LCA」,日本 LCA 学会,https://www.jstage.jst.go. jp/article/ilcaj/2008/0/2008_0_130/_pdf,2021 年 8 月 28 日閲覧

*9:「プラごみの削減へ新法成立 使い捨てスプーンも有料化?:朝日新聞デジタル」,朝日新聞https://www. asahi.com/articles/ASP6444TTP63ULBJ01F.html,2021 年 8 月 28 日閲覧

*10:「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律案」が閣議決定されました (METI/経済産業省)」,経済 産業省,https://www.meti.go.jp/press/2020/03/20210309004/20210309004.html,2021 年 8 月 28 日 閲覧

*11:「豊かな自然環境を次世代につなぐ、プラスチックトレー不使用でスリム包装形態の 80kcal シリーズ「天然酵母 のクラッカー」など 4 品を 1 月より順次発売!~ オリジナルeco包装マークをつけて登場 ~ | ニュース一覧 | ブルボン」,株式会社ブルボン,https://www.bourbon.co.jp/news/detail/20210222162647.html,2021 年 8 月 28 日閲覧

*12:「「キットカット」の外袋を、紙パッケージに変更。主力の大袋タイプ 5 品を、9 月下旬出荷分より全量切り替え | ネ スレ日本」,ネスレ日本株式会社,https://www.nestle.co.jp/media/pressreleases/allpressreleases/ 20190801_nestle,2021 年 8 月 28 日閲覧

*13:「紙カミソリ ™ | 貝印のカミソリポータルサイト」,貝印株式会社,https://www.kai-group.com/products/ kamisori/product/kamikamisori.html,2021 年 8 月 28 日閲覧

皆川淇園という奇人思想家

江戸時代の儒学者皆川淇園という人物がいる.Wikipediaを参照してもなかなかわかりづらいので,ここにまとめることにした.

皆川淇園は江戸中期を代表する儒学者で,京都で活躍した.「弘道館」という学問所を京に開き,一時は門人3,000人を数えたという.その足取りを追う.

皆川淇園の半生

皆川淇園

皆川淇園が開いた学問である「開物学」は,京で一時繁栄を見せたものの,その学問体系,即ち淇園の学問上の主張は十分に理解されたわけではなかったようだ.学問のようすは「甚だ奇僻」とすら評されている.

むしろ淇園は一流の文人,「都市文化人」としての顔を持っており,そちらの側面ほうが市民にはよく知られていたようである.

淇園の都市文化人としての生き様はまさに放蕩であった.儒学者として士官することなく,ひたすら風流に生きながら学問を探求した.

都市文化人としての淇園

彼は,儒学者としての顔以外では,書画にすぐれた文化人としての顔を持っていた.

  • 画は円山応挙に師事し,京の画壇で人気を集めた.その腕は円山応挙にも勝るとも劣らないという評判だったようだ.

ここで注目したいのは,彼が非常に閉じた社会においてその芸術の才能を発揮していたとうことである.淇園が生きた時代は飢饉などが発生し,なかなか平穏な時代とも言い難かったようだ.その中で淇園は,都市文化人として,自らの仲間たちとともに閉じた保守的で居心地の良い空間を作り上げることに心血を注いだのである.

皆川淇園の学問「開物学」

背景

淇園が開物学を開く前,儒学者としての淇園は悩みを抱えていた.「天下は,儒学者の力に頼らずとも太平である」という悩みである.後述するが,荻生徂徠が開いた徂徠学以来,政治の安定に儒学は役立ってきた.一方江戸の太平の世を鑑み,淇園は自らの儒学を政治と分離することを目指したのである.

淇園は幼い頃から父である春洞にその詩文の才を見いだされ,高い水準の教育を施された.若い頃は「白話小説」に没頭し,そのレトリックを楽しむなどしたようである.これもおそらく開物学の構想の一つのきっかけだったのであろう.

「開物学」と音韻

開物学とは大まかに言えば,音韻(すなわち,言葉の発音)をもとに儒学上のさまざまな要素を捉えるという学問であった.一方でそれが体系立った学問にまで昇華したとは言い切れず,またその難解さゆえに当時「怪物学」と呼ばれていたようである.

一般的な儒学者は,「仁」という言葉が,孔子とその門人たちが残したテキストでどう扱われているかを,仁という言葉を取り囲む概念(忠,孝など)を含めて,総合的に体系立てていくものである.一方で淇園は,開物学において,仁なら仁で,それを扱ったテキストだけに注目して,そこで個別的に完結して概念を捉えていった.

また,儒学を代表する概念以外にも,たとえば「よろこび」という言葉は「喜」「歓」「欣」「悦」などいろいろあるが,これらの使い分けを,中国語の音韻や文脈から判断しよう,ということも開物学のなかのひとつの型であったようだ.

「開物学」の由来

開物学は「易経」繋辞上の「開物成務」という部分から由来している(東の雄,開成もここから名をとっていたはず).ふつうこの箇所は人材育成という意味で解されるが,淇園の解釈は異なっている.淇園は世の中のものを3つに分類した:「有形」「有象」「無形・無象」である.

  • 有形とは私たちの目で見ることができ,かつ手に触れることができるもの.
  • 有象とは私たちの目で見ることができるが,手に触れることができないもの.
  • 無形・無象とは有形でも有象でもないもの.

このうち淇園が「開く」べきと考えたもの,すなわち開物学の対象としたものが,「無形・無象」のものであった.

開物学で文章を開く

淇園によれば,文章は字義(=文字)で成り立っており,さらに字義は象から成っている.この働きは暗界におけるものであり,そこに「神気」が常に介在しているという.

この神気を捉えるには,他の儒学の学派との比較がわかりやすい.

儒学の一派としての開物学

開物学以前

朱子学

朱子学は,「行うべき理は自然と存在しており,それを体現したのが聖人である」という立場を取った.この朱子学江戸幕府による統治に一役買ったことは周知のとおりである.

徂徠学

荻生徂徠が開いたのが徂徠学である.これは淇園が幼い頃に最も栄えたようだ.この学派では「先王の道」(=理)は,自然に存在しているものではなく,王が自ら創り出したものだと考えていた.

折衷学

徂徠学は割とすぐに衰退し,次に登場したものは「折衷学」である.これらの折衷学は徂徠学からの脱却を目指したが,結局の所徂徠学の批判的継承に終わってしまった.さらに学問としての統一性に欠け,皮肉にもこれが近代儒学衰退の第一歩であったようである.

開物学

開物学もいちおうは折衷学の広い仲間として捉えることができるようだ.

大なるもの,小なるもの

徂徠学と開物学の最大の違いは,徂徠学は大なるもの(=先王の道)が存在し,そこから小なるもの(=実際の生き様,世の中)が自ら至る(到達する)と考えていたのに対して,開物学では,小なるものが先に存在し,そこから大なるものを導くことができるとする立場をとる.

一方で,開物学で言うところの「大なるもの」が何なのかは明確には理解されていない.さらには小なるものの分析の手法にも一貫性がなく,結局の所よくわからないといったほうがよさそうである.

民衆の捉え方

もう一つ徂徠学と開物学の違いを挙げるのなら,民衆というものの捉え方にある.

徂徠学では,民衆を結局のところ小馬鹿にして捉えているというべきか,聖人がいなければ「洪荒の世」になっているところを,聖人がいるおかげで治世が安定する,と捉えている.

一方で開物学では,民衆は,日々の営みの中で自然と世の理を体現しているのだと考える.それをあえて表現する人が聖人であると考えているのだ(そのため結果的に聖人の立ち位置は下がる).さらには民は悪政に抵抗し,自治こそが悪政を予防するとも考えている.

皆川淇園パトロン

弘道館の規則

  • 一、諸門人学業勤習致し候う儀、専ら躬行を慎み、浮薄に流れず相心得べく候事、
  • 一、常に多言暴躁を戒め、恭遜を尚ぶべき事、
  • 一、受業未熟の輩、異学の徒に対して、誇詡をなすべからず、但し同志研竅の儀は、格別に為すべき事、
  • 一、註解は聖人の本意にあらず、之により経書釈義刊行の儀、かたく之を禁ず、但し自ら遺忘に備うるの類は格別に為すべき事、
  • 一、経術取り扱い候上においては、軽率に我意をたてず師の説に従い申すべし、但し後々経文発明これ有り候う者においては、校合の上、其の善に従うべき事、
  • 一、総て著述刊行の儀、学塾へ差出し、一覧の上指揮に従い申すべき事、
  • 一、同盟の士、互に和気を以て相待ち、争諍これ有るまじき事、

パトロンである大名たち

特に松浦静山が有名.

参考文献

以上の記述は以下の参考文献に拠る.

中学受験の狂気

「中学受験」というものの存在を皆さんはご存知だろうか.

自己紹介記事でほんの少しだけ触れたが,私は中学受験を突破して男子校の中高一貫校に入学し,現在は高校一年生である.中学受験から3年と少しが経過し,流石にそろそろ中学受験をある程度距離をおいて見ることができるようになった気がするので,後の自分がこれを見返して恐怖で震えるためにも,残しておく.

注意.私は関西人なので書かれている事情はすべて関西のものと思ってほしい.

中学受験のここがおかしい

教科編

算数

高校範囲の定理を余裕で用いる

メネラウスの定理やチェバの定理なんかは図形問題を解く時にたいへん便利であるため,塾では教えられるし,「分かっていて当然」の雰囲気を出される.実際はこれらの定理は高校数学の「数学A」で学ぶ範囲である.高校生の中にもよく分かっていない人は多そう.

これはまだそこそこ頭のいい小学生にも証明ができるので許すとする.だが「パップスギュルダンの定理」を当たり前のように小学生に教えておくのはやはり異様な光景である.

この定理は回転体の体積を求めることができる定理で,高校数学でいえば「数学Ⅲ」の,しかも裏技に近いような扱いである.どうがんばっても積分を使わなければ証明ができないのだが,それを小学生にとりあえず使わせておくのはちゃんちゃらおかしい.

ちなみにパップス・ギュルダンの定理が中学受験業界で人口に膾炙してきたのは2014年頃からという噂である(個人の感想です).2014年に灘中とかいう学校がなかなかクレイジーな問題を出してしまったのだ*1.この定理に限らず,「難関校がクレイジーな問題を出す→塾がカリキュラムに取り入れる→他の学校も出題し始める→もはや常識になる」は中学受験あるあるの流れである.恐ろしすぎる.

もう√とかつかっちゃえよ

やはり小学生は小学生なので,√や,文字(x や yなど)を用いるのはいちおう禁じ手である.高校数学の定理を使っておいてなにを白々しいという気分になるが,そういうお約束なので仕方がない.

たとえば「一辺の長さが1cmの正方形の対角線の長さ」はもちろん√2cmなのだが,これを中学受験業界ならこうする.

求める長さを□とおくと,□×□=2

いやこれ√と変わらんやんけ.

謎のこだわりである.

国語

謎のカルチャー:漢字パズル

やはり関西の中学受験生なら灘の名を少しでも意識しないものはないが,灘は二日間入試がある.国語一日目の試験ではほぼ必ずと言っていいほど漢字パズルが出る.

いやなんやそれ.

QuizKnockの記事に面白そうなものがあった.「小学生に勝てるか!? 灘中入試に挑戦!」などとタイトルにあるが,一般人が勝てるわけがない.こちとら「所詮、手際よく解けるように作られた入試問題という箱庭の中で最速で問題を正解することに特化した訓練を受けた逸般の小学生」である.

タイトルはおいておくとして,中身の漢字パズルもなかなか難しい.おそらく灘の先生方は「豊かな漢語の広がりに触れて,言語に関する感覚を養ってほしい」とお思いなのだろうと拝察するが,塾が「漢字パズル対策」と銘打って講座を開いている時点で台無しである.

俳句おぼえがち

俳句の問題で頻出のものはなんだかんだ覚えてしまう.小学生は覚えなくてもいいことをすぐ覚える天才である.私なんか未だに「赤い椿白い椿と落ちにけり(河東碧梧桐)」とか,「新緑の中や吾子の歯生えそむる(中村草田男)」とか「咳をしても一人(尾崎放哉)」とかいろいろ頭に残ってしまっている.もっと豊かな味わい方をしたかったものだ.

理科

やってること高校物理の基礎と変わらん.

これに尽きる.

力のモーメントとか物質の三態変化とか,中学受験生は普通に解いてしまうが,これを高校の物理基礎の教科書で目撃した私は恐怖すら覚えた.小学生に何をさせてるんや.こういう事情もあり,中高一貫校の生徒の多くは「これ結局やってること中学受験と変わらんやんけ…」と思いながら授業を受けることも多いに違いない.

社会

中学受験で学ぶ社会というのは案外大事である.

私は中学受験で社会を学んだおかげで,その後いろいろな場所に旅行に行った時に「この地域の産業は…」とか「この地形は…」とか考えるネタが尽きずにいる.これはなかなか貴重なことである.私は中学受験でいちばん実りある教科は社会かもしれないとすら感じる.

ところがどっこい,関西人は社会を全然選択しない.理由は単純,関西の多くの中学校が社会を入試で扱わないからである.これは人生の損失だといっても過言ではない(中学受験にかまけて小学校生活をろくに外遊びもせずに終わらせるほうがよっぽど人生の損失であることは疑う余地もないが).

関西の大手の学校の方々が入試で社会を導入しない理由の方をぜひお聞かせ願いたいところである.

全般編

中学受験をくぐりぬける人の多くは,(たいへんありがたいことに,私を含め)きっと多大なる資本投下を受けているに違いない.なぜなら「中学受験塾に通わずに難関校に合格する」ことはほぼ不可能であるからだ(とは言いつつも,これを成し遂げた人が同級生に存在しているのがこわい).その一例を紹介しよう.

遠方から来る

福井から名古屋まで毎週ドライブ

福井に住む人が,名古屋の中学受験塾に通うために毎週一度母親に車で連れてきてもらっていたことがあるらしい.恐怖である.母親の献身的な狂気なくして中学受験産業は成り立たない.

遠方から西宮に短期移住

「塾銀座」とかいう不名誉な(?)称号を得ているのが阪急西宮北口駅周りである.このあたりは本当に中学受験塾が多すぎる.今年も日夜阪急を利用される皆様に対してクソうるさいクソガキどもが騒音公害を発生させ続けているに違いない.温かい心で見守ってくださるとありがたいです…

受験直前期には,そんな西宮に名古屋から移住してきて受験対策の授業を受ける人も割と一定数存在している.親には頭が上がらない思いである.

12時間耐久特訓

これは「朝9時から夜9時までテストや授業を受け続ける」千本ノックみたいな頭おかしい講座である.

この過労死や労働のホワイトさに対する世間の目が厳しい世の中において,小学生を12時間拘束する授業を嬉々として行う中学受験業界はなかなかどうにかしている.ちなみに私が卒業した次の年から12時間が10時間になったと聞いた.喜ぶべきか呆れるべきか.

とまあ,こんな愚痴まがいの言葉ばかりになってしまったが,ここで記事を締めくくろうと思う.書き出してみると本当に狂っているが,こんなものはあくまでまだまだ氷山の一角である.

ただ,中学受験の世界にこのような狂気が渦巻いていることはぜひ頭に留めておいていただければと思う.今や中学受験市場は拡大の一途をたどっており,首都圏では5人に1人が中学受験を経験するという推計もあるくらいなのだ.あなたの知り合いが中学受験を経験するときは,この狂った中学受験の世界に飛び込むまだ小さい小学生を,どうぞ温かい心を持って応援してあげてほしい.

*1:いちおう灘の名誉のために言っておくと,がんばればこの定理を使わなくても解ける.しかしながら,やはりこの定理があると非常に便利である.

まずお前誰やねんという話

誰に見せようと思って書いているものでもないが,とりあえずは自己紹介から.

 

皆さんの中に中学受験を経験したことがある人はいるだろうか.最難関校に入ろうとするような多少なりとも気が狂ったような奴ら(もちろん私も含む)たちが寄ってたかってがんばってよくわからない問題に挑む.

 

これをなんだかんだうまいこと乗り切ってきた結果私は男子校にいる.おかしい.男子校ってこんなに閉じた世界だったっけ.という冗談を吐き出しつつ今日も生きている.男子校は他人と気を使わなくていいという点が美点でもありそのまま短所でもある.男子校の単色さと多様性についてもおいおい書いていきたい.

 

いざ自分が身バレしない程度に自己紹介しようと考えるとかなり難儀なものである.また追記するとして今日はこのへんで.